教室日誌
やる気と精神力
2006/12/09/ (土) : 山田興味のないことに対して「やる気」を出すには、どのようにすればよいでしょう。
難しい質問だと思いますが、人それぞれさまざまな考えや方法をお持ちだと思います。
しかし、それらの方法の多くは、強い精神力を必要とする場合が多いのではないでしょうか。
興味のないことに対して行動を起こすには、少なからず苦痛を伴います。
その苦痛に負けない精神力を多少なりとも持っていないと、その行動もなかなか前には進みません。
やりたくない、面倒くさい、だけれどもやらなければいけない。
そのようなことについても同じことが言えるでしょう。
また、もともと「やる気」が起きないことに対して少しでも逃げてしまうと、だんだんそれが溜まっていってしまい、その溜まった量を見てさらに「やる気」をなくすという悪循環に陥ってしまうこともあります。
そしてそこから抜け出すには、さらに強い精神力が必要となってきます。
子供たちの勉強についても、同じことが言えます。
多くの子供たちにとって勉強とは、おそらくあまり興味のないものなのではないでしょうか。
そんな勉強に対して、子供たちが「やる気」を持つためにはやはり強い精神力が必要になります。
大人ですら強い精神力を持つことは難しいことなのに、ましてやまだ精神的に成長・発達段階の子供たちですから、もっと難しいことでしょう。
ですから、多くの子供たちは勉強に対して「やる気」を出す以前に、「やる気」を持つことさえ難しいことなのです。
そのうえ、つまずいたところをそのままにしておいたりすると、学校の勉強は待ってくれないのでどんどん先に進んでいき、気がついたときには追いつくために膨大な量を勉強しなければならない状況になることさえあります。
こうなると、ほとんどの子が本当にやる気をなくしてしまいます。先ほどの悪循環と同じですね。
子供たちに興味のないことをやらせるには、なんとか「やる気」を出させる、ということが重要なことに思えるでしょう。
しかしもっと重要なことは、なるべく「やる気」をなくさせない、ということではないでしょうか。
そして、子供たちに必要な精神力とは、興味のないことに対して「やる気」を出すための精神力ではなくて、興味のないことに対しても「でも、やらなければ」と思うことができる精神力だと思います。
この精神力は、自主性・自立性と深く関係しています。
やはり、早いうちから自主性・自立性を芽生えさせることが大切です。
自立心が身に付いてくると、やりたくないことでも「やらなければ」と重い腰を上げる力も身に付いてきます。
(山田)
努力
2006/11/15/ (水) : 山田努力することの大切さは、大人であればほとんどの方が知っていることだと思います。
それは、多くの場合何らかのかたちでその大切さを経験し実感したからでしょう。
しかし、その時期や内容は人によってそれぞれ違います。
小学生で気がつく子もいれば、社会人になって実感する人もいます。
また、勉強やスポーツ、習い事や趣味など、その体験もさまざまでしょう。
実は、努力が大切ということは、小学生でも知っています。
それは、子供たちは物心ついたころから周りにいる大人たちに「頑張ったら、よいことがあるよ」と聞かされて育つからです。
また、大人自身の体験談もよく聞かされます。
それに、努力した友達がよい結果を出すことなども、子供たちは普段からよく目にしています。
子供向けの漫画やアニメなどでも、努力して成長する主人公を描いているものも少なくありません。
しかし、そうした子供たちのなかにも その努力を「する子」と「しない子」とがいます。
どうしてなのでしょうか。
それは、なにかを努力した結果、その成果が出た、またはそれが報われたという体験をしたことがあるかないかの差によるものだと思います。
生徒の中でも、実際にそれを経験している子は、どんなことでもなんとか努力をしてみようと考える子が多いように感じます。
「努力が大切だと知ること」と、「努力が大切だと実感すること」とは似ているようで全然違うものだと思います。
「努力が大切だと知ること」と、「努力を実行・継続することができること」は違うことなのです。
多くの子供たちは、努力の大切さは知っていても、努力をした結果それが報われたときの喜びを知らないので、なかなか努力する気にならないのではないでしょうか。
「努力すること」とはけっして楽しいことではありませんし、大人でもつらいものですからね。
努力することは、人生においてとっても重要なことだと思います。
たくさん努力をした人は、そんなに努力をしなかった人よりは、必ず「幸せ」に近づけると思うからです。
ですから、子供たちにはどんなことでもよいので、少しでも早いうちに努力の大切さを体験させてあげたいものです。
これは、子供の自主性・自立性を養ううえでもとても大切なことです。
(山田)
記憶
2006/10/14/ (土) : 山田今よりももっとたくさんのことを記憶できて、そしてそれらを忘れないような頭脳がほしい、・・・そういう思いはほとんど全ての人が持っているのではないでしょうか。
「記憶力がよい」ということは、あらゆるところで必ず有利にはたらきます。
この差で人生が大きく変わってくるといっても大げさではないほどでしょう。
記憶に関するメカニズムは、近年になって科学的にかなり解明されてきています。
記憶とは不思議なもので、興味のあることに関しては、よりたくさん記憶することができ、そしてなかなか忘れないようにできているそうです。
ある生徒の話ですが、その子は英単語を1日に5個覚えることさえ難しいという暗記の苦手な生徒でした。
しかし、テレビゲームのキャラクターなら数日で100や200は簡単に覚えてしまうというのです。
本人が言ったことなので、本当かウソかは分かりませんが、その子は自信満々でした。
もし本当だとすると、その子は、そのゲームにとても興味を持っていて、またそれを何度も繰り返しやったために、短い間に脳が多くのキャラクターをしっかりと記憶したのでしょう。
これが本当だとしたら、記憶には興味をもつことと反復することが重要だということがわかります。
この生徒は、記憶力がないのではなく、それを興味のない勉強には使っていなかっただけなのでしょう。
ですから、私たち講師にとっては、生徒たちにいかにして勉強に対する興味を持たせ、またいかにしてそれを繰り返し勉強させるか、ということが最大の課題となります。
これを常に意識して授業をしている講師こそが良い講師、ということも言えるかもしれません。
人間の脳とはけっして都合よく働いてはくれません。
大切なことや忘れてはいけないことは、時として忘れてしまうことがありますが、早く忘れたい嫌なことや恥をかいたことなどは、なかなか忘れることはできなかったりしますね。
人間の記憶って本当に不思議だと思います。
(山田)
コツコツ
2006/10/03/ (火) : 山田日本語には「コツコツ」という表現があります。
日本独特のとてもよい表現だと思います。
辞書を引くと「地道に働くさま、たゆまず努め励むさま」と載っています。
これらの意味を「コ・ツ・コ・ツ」というたった四文字で表現しているのです。
改めて日本語の表現の豊かさに驚かされます。
「コツコツやる」ということは、なにかを成し遂げるためにはとても大切なことです。
コツコツとやって、少しずつ成果を積み重ねてこそ、目標を達成することができるのではないでしょうか。
しかし、コツコツとやるということは、とても難しいことでもあります。
特に、あまり興味のないことをコツコツやるという行為には、強い精神力を必要とします。
頭の中ではコツコツやることが大切だと分かっていても、なかなか体が動いてくれないものです。
そして、そのうちにそのことから目をそらすようになり、つい他のことへと逃げてしまうようになることさえあります。
子供にとっての勉強もそうだと思います。
勉強はコツコツとやってこそ、良い成績へと結びつきます。
たった一日の勉強で成績が急激に上がることなど、まずありえないでしょう。
しかし「コツコツ勉強する」、それが難しいのです。
大人でも難しいことですから、子供たちにはもっと難しいことでしょう。
さらに子供たちには誘惑するものがたくさんありますので、ついついそちらへ逃げてしまうことも仕方のないことかもしれません。
そうならないためには、できるだけ小さいうちから、強い精神力を養っていくしかありません。
これは子供たちの自主性・自立性とも大きく関係してきます。
子供たちには、コツコツと頑張れる精神力をなんとか身に付けてほしいものです。
(山田)
旧暦(2)
2006/08/11/ (金) : 山田前々回の教室日誌では「旧暦」のことを取り上げました。
そして、そこで七夕のことを例に挙げました。
今回はその補足です。
日本の旧暦は、「太陰暦」だと思われがちですが、正確には「太陰太陽暦(太陽太陰暦ともいう)」という暦です。
どちらの暦も、月の運行によって決められているという点では共通しています。
しかし純粋な太陰暦だと、暦上の月と実際の季節が、少しずつずれてくるのだそうです。
太陰太陽暦には、その「月と季節のずれ」を調整する仕組みが加わっています。
およそ3年弱に1度、1年を12ヶ月から13ヶ月に1ヶ月増やすことで、そのずれを調整します。
この増えた余分な1ヶ月のことを閏月(うるうづき)といいます。
旧暦では今年が、閏月のある年、つまり閏年にあたります。
それも閏月なのは、七月なのです。
ですから今年は七月が2回あります。
もっと正確に言うと、今年は「七月」と「閏七月」があるのです。
七月三十日の翌日が閏七月一日になるというように、「七月」の次の月は「八月」ではなく「閏七月」なのです。そして二十九日まで「閏七月」が続き、その後「八月」となります。
ということは、今年の旧暦では閏月も含めると、七月七日が2回あるともいえます。(厳密に言うと違うのでしょうが・・・)
1年に七夕が2回ある、そう考えると楽しいですね。(現在の暦の分も合わせると3回にもなりますね。)
七夕の好きな子供たちは喜ぶことでしょう。
もう一度、「天の川」やそれをはさむ「織り姫」と「彦星」を、改めて見るきっかけができたのですから。
(見ようと思えば星空なんていつでも見られますが、やはり見る理由があったほうが楽しいですよね。)
今年の閏七月一日が、現在の暦の八月二十四日です。
ですから、閏七月七日は、現在の暦でいうと八月三十日にあたります。
今年の旧暦の七夕の日(七月三十一日)より、こちら(八月三十日)のほうが、本来の七夕の季節に近いと思います。
今年は贅沢に、3回目の七夕を楽しむのもよいですね。
また、今年の七夕の日に星空を見られなかった方は、この日に改めて七夕伝説に思いを馳せられてはいかがでしょうか。
(山田)
集中力
2006/07/28/ (金) : 山田「集中する」ということは、何か特殊な能力を必要とするようなイメージを抱いてしまうことがあります。
しかし、考えてみると集中することなんて、実は誰でもよくやっていることですよね。
本を読んでいるときや映画やテレビを見ているとき、また料理・スポーツ・ゲームなどあらゆることで、その行為に集中しています。
ひとくちに集中といっても、いろいろな集中があります。
スポーツ競技のように一瞬に全神経を集中させることも集中と言いますし、ある行為を一定の時間、意識が他に向くことなく持続させることも集中です。
ここで言う集中とは、後者のことを指しています。
ですから、その意味ではまったく集中することができないという人は、おそらく存在しないのではないでしょうか。誰でも毎日なにかしらに集中していますから。
ただ、興味のないことや自分の好きではないことに対しては、集中することが難しいことがあります。
そういうことに対しても、意識的に物事に集中させることができることを、「集中力がある」というのでしょう。
「うちの子は集中力がなくて・・・」という言葉をよく耳にします。
しかしそれはおそらく興味のないことに対してだと思います。
集中することができないのではなく、興味のないことを続ける精神力がまだ育っていないだけなのです。
生まれ持った性格もあるでしょうが、多くの子供は自立心が芽生えだすと自然と集中する精神力を持ち始めます。
こういうことがよくあります。
なかなか集中できずにいる子供に、「このページが終わったら帰っていいよ」と言うと、ものすごく集中して問題を解き始めます。
このことから見ても、あまり集中できていない子でも、集中力というもの自体が無いわけではないのです。
この事例のように、わざと動機づけをすることも大切ですが、自立心が芽生えてくると、自分で動機づけできるようになってきます。
例えば、この勉強が終わったら好きなことをしよう、などと自分で気持ちをコントロールして集中力を高めたりするようになってきます。
そして、嫌なことでも、興味がないことでも、我慢してやっているうちに集中できる時間が長くなっていくのかもしれません。
集中力については、アルファー波やドーパミン、甲状腺刺激放出ホルモンなど、科学的にもいろいろと研究されています。
科学的に見ると、人間が集中できる時間は、5~10分位だという説から60~90分位だという説までかなりの幅があります。
でも結局のところ、とても長い時間は集中できないということらしいです。
ですから長い時間なにかをしようと思ったら、集中と休憩を繰り返しながら、少しでも時間を長くしていくしかないようです。
しかし集中するということは、それが好きなことであったとしても、かなり疲労を伴うことなので気をつける必要があります。
勉強の場合でも、なにかを理解させたい場合には、集中力が持続している短い時間で理解させないと、あまり意味がないということかもしれません。
長い時間勉強することが良いこと、とは限らないということですね。
しかし、理解したものを定着させるには逆に多くの時間が必要となりますので、やはり勉強時間は長くなってしまうのかも知れません・・・。
「集中する」ということは「夢中になる」ということと似ています。
ですから、人間、興味のないことには集中しづらいのでしょう。
勉強においても、少しでも理解できているものには、より集中しやすくなります。
分からないところをそのままにしておかず、理解できていないところをできるだけ少なくすることが大切で、そうやって、少しでも勉強に対する興味がなくならないようにしていかなければなりません。
これは私たち大人にも言えることですね。
何かに対して集中力がないと思ったときには、そのことに興味がなくなっているのではないかと疑うことも必要かもしれません。
もしそうだったならば、改めてそのことに興味を持つように意識することも大切ですね。
(山田)
旧暦
2006/07/14/ (金) : 山田七月七日、七夕の夜には星空を見ることができましたか。
福岡地方では、あいにくの曇り空で見ることができませんでした。
福岡では、七夕の夜はここ十年間 晴れたことがないそうです。
子供たちの中には、七夕の夜に「天の川」と、それを挟む「織り姫」と「彦星」が見えることを、とても楽しみにしているとうい子がたくさんいます。
それなのに、曇りや雨で見ることができないとなると、なんだかかわいそうです。
しかし、七夕はちょうど梅雨と重なるので、星空を期待すること自体、少し無理な話なのかもしれませんが・・・。
しかし、昔から七夕の日に星空を期待することが難しかったわけではありません。
こうなったのは、明治の初めに現在の暦に改暦をしてからのことです。
七月七日の七夕は、もともと旧暦での行事です。
ですから、旧暦の七月七日は、もちろん梅雨の時期などではありません。
この時期は、夏祭りなども終わり少し秋風を感じはじめる頃だそうで、晴天率も高いそうです。
またこの日は、お月さまも新月から数えて七日目となるので月の光も弱く、そのうえ夜半前には沈んでしまうため、晴れてさえいれば夜空には満天の星が見えるのだそうです。
旧暦は毎年変わるので、旧暦の七夕が現在の暦で何月何日にあたるということは決まっていませんが、毎年だいたい八月の半ばから後半にかけて頃が多いです。でも今年の旧暦の七夕はちょっと早く、七月三十一日です。
国立天文台ではこの日を「伝統的七夕」として、月や星を見上げてもらうきっかけにして欲しいと、そしてできればライトダウンを実施して無駄な照明を消してもらい夜空をよく眺められるようにしてほしいと、数年前から呼びかけています。
この日に星空を眺めながら、もう一度「七夕」を楽しむのもわるくありませんね。
旧暦といえば、ここ数年、旧暦が見直されているという記事をよく目にします。
旧暦を使ったほうが日本の季節感に合うので、食品関係や衣料関係、またイベント関係などの会社で、旧暦を参考にして事業計画を立てているところが少なくないそうです。そう言われてみると、なるほどと感心させられます。
また書店に行けば、旧暦に関する本が何種類も並んでいるのを見ることができます。会社や企業だけでなく、個人のレベルでも旧暦が見直されてきているのでしょうか。
真冬である元旦を「新春」と祝ったり、桃の季節ではないのに雛祭を「桃の節句」と言ったりすることも、旧暦で考えれば納得がいきます。
現在使われている新暦(グレゴリウス暦)に、無理やり当てはめられている「旧暦の行事」は少なくありません。
だから、暦と季節感との違いに、なにか違和感を覚えることもあるのでしょう。
これからは、もう少し旧暦を見直して、生活の中でいろいろ活用してみるのもよいかもしれません。
(山田)
時間の使い方
2006/06/24/ (土) : 山田時間は常に流れているもので、また過ぎてしまうと二度と戻ってこないものです。
地球上で暮らしていれば、そのすべての人に平等に、そして同じ速さで流れていきます。
しかし、限られた時間をどう有効に使うかによっては、けっしてすべての人に平等に流れているとは言えません。
時間の使い方が上手な人は、そうでない人よりずいぶん得をしていることは事実です。
それは、子供たちにもあてはまります。
上手に時間を使っている子もいれば、時間の使い方が下手な子もいます。
時間の使い方が上手な子は、自主性・自立性が芽生えている子に多いです。
やることの優先順位を決め、それを実行することができます。
大人の私でさえ、感心させられる子は何人もいます。
しかし多くの子供たちは、時間に対して特別に意識をしてはいないような気がします。
ちょっと例えは違うかもしれませんが、定期テスト直前でも好きなテレビ番組が見たいという中学生は少なくありません。
せっかく「ビデオ」という時間を有効に使うことができる道具を持っていても、やはりその日に見たいのだそうです。
私なんかは、録画しておいて定期テストが終わってからゆっくり見るほうがよさそうに思えるのですが・・・。
見ておかないと学校での話題についていけなくなったりするのかも知れませんが、その日テレビに割く時間を定期テストのために割くほうがきっと後で後悔しないだろうと思えてなりません。
時間はどの子にも平等に流れていますが、その使い方は個々に違います。ですから使い方によってはあらゆる面で大きな差となります。
「お金」の上手な使い方やその管理の仕方は、小さい頃からわりと身に付ける機会を与えられます。
例えば、遠足などのときは決められた額の範囲で好きなおやつを上手に買うように言われました。
また、毎月お小遣いをもらいその範囲でやり繰りさせられる子も少なくありません。
なかにはお小遣い帳をつけさせられる子もいるでしょう。
そうしながら、お金の大切さやお金の管理の仕方を教わり、それが身についていくのかもしれません。
しかし、「時間」の上手な使い方やその管理の仕方は、小さい頃から教わる機会は多くない気がします。
スケジュール帳や予定表なども与えられますが、子供の頃のスケジュールは自分で考えるより、周りから押し付けられることのほうが多く、どうやったら時間を有効に使えるかはあまり教わらなかったのではないでしょうか。
子供たちにとって、「お金」が減っていくということはとても現実味があります。例えば1,000円札を出しておつりが500円玉になったとすると、お金が減ったということが実際に目に見えるわけですから。
しかし「時間」の場合、子供のうちはなかなか実感がわきにくいのだと思います。時間は「減る」という感覚では捕らえにくいからでしょうか。過ぎても必ずまたやって来ますからね。
だからこそ、子供たちには小さいうちから「時間」の上手な使い方を身に付けさせたいものです。
(山田)
危機感
2006/06/02/ (金) : 山田危機感を持つということは、何かを成し遂げるためには大切なことかもしれません。危機感は、思わぬ力を発揮させることがあるからです。
「このままでは目標を達成できそうにない!」「このままでは悪い結果になることが目に見えている!」といった状況に追い込まれたとき、「このままでは、やばい!」という危機感が湧き上がってきます。
それを持って行動した結果、思った以上の力が発揮でき、問題を回避できたなどという話はよく耳にします。
危機感が、行動する力に変わった結果、更なる力を引き出すことができたからではないでしょうか。
子供たちの勉強に置き換えると「このままだとテストで目標の点数がとれない!」や「このままの成績だと、志望校に合格できない!」などになるでしょうか。
ここで危機感を持って行動できる子は、多くの場合 悪い結果にはなりません。
子供でも危機感を強く持っている子は、そうでない子に比べると、成績の伸びが良いように感じます。
逆に危機感を持ってない生徒は、成績がなかなか伸びません。
「今回ダメでも、なんとかなるさ」と危機感を持とうとしない、悪い意味での楽天家タイプに多いです。また危機感を持っても「どうせダメだ」とすぐにあきらめてしまう無気力タイプもいます。
共通して言えることは、結局は何もしないということです。
危機感を持ったとき、とにかく行動をしないとその危機を回避できないということですね。
「危機感」には、よくない状況に追い詰められたときに抱く危機感と、わざと自分を追い込むために持つ危機感とがあります。
いままで挙げた例は前者ばかりですが、できれば後者のほうが望ましいですね。
子供たちの中にも、自ら危機感を持って勉強に取り組んでいる子がいます。
そういう子を見ると、いつも感心させられてしまいます。
人間ですから、行動しなければならないとわかっていても、なかなか体が動かないこともあります。そんなときには、わざと危機感を持つようにすることも必要なのかもしれません。
追い込まれたり追い詰められたりすることは、あまり気持ちのよいものではありませんが、時にはわざとそうすることで、背中を押すことが必要なのかも知れません。
できれば危機感など持たずにすむように、強い意志を持って毎日コツコツとやることが理想なのですけどね。
(山田)
宿題
2006/05/19/ (金) : 山田「宿題」とは多くの子供たちにとって、大嫌いな言葉のひとつだと思います。
子供たちにとっては、宿題をすること自体面倒臭いですし、大切な自分の時間をそれに割かれるわけですから、うれしいはずもありません。
宿題を出す先生は、まるで鬼か悪魔のように映っていることでしょう。
しかし宿題を出すほうも、そういう子供たちの気持ちを十分理解しています。
なぜなら、多くの先生たちは自分たちもその経験をしてきているからです。
それでも涙を振るって、生徒のために宿題を出すのです。
宿題とは、大げさに言えば生徒を思う愛情なのです。
悪魔のように映っている先生たちも、本当は優しい天使なのかもしれません。
宿題をやってくる子は必ず成績が伸びます。これには理由があります。
自発的にやってくる子は、自主性・自立性が芽生え始めている証拠で、必ず伸びます。それは、前回でもふれました。
また他人に促されてやってくる子供は、自主性・自立性はまだ芽生えていませんが、宿題をやること自体が反復練習になっているので、より定着しやすくなります。
というわけで、適度の宿題は、やってくると良いことずくめなのです。
新しく習ったことを、しっかり理解することは大切なことです。
それと同じくらい大切なことは、その理解したことを定着させることです。
それではどうやって定着させるのでしょう。
いろいろありますが、基本的には繰り返しやることだと思います。
子供たちは、習ったことが理解できたとき、そのことに満足しそして安心します。
満足や安心という感情は、理解したことを頭の中に留めておくための蛇口をゆるめてしまいます。
そして、1週間もすればすべて漏れ出してしまっていることもよくあります。
それを防ぐために、蛇口をしめなおす役目をするのが宿題なのです。
繰り返すことによって忘れにくくなり、さらに定着していきます。
先生たちは、それを期待して宿題を出すのですが、なかなか子供たちには伝わりません。いや伝わっているのでしょうが、なかなか体が動かないのが現実です。
宿題をやってくることこそ、自主性・自立性を芽生えさせる第一歩かもしれません。
(山田)